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■セセデ連続講座7月 - 民族教育権獲得運動の歩み
民族教育権獲得運動の始まり 1945年8月15日の祖国解放後、日帝支配下の皇民化教育によって奪われた民族の言葉を取り戻すため同胞たちは、互いに力を合わせ日本各地で「国語講習所」を続々と開講した。 しかし敗戦国日本を占領していた連合軍総司令部(GHQ)は、朝鮮学校弾圧政策を取り、その意向を汲んだ日本政府は、朝鮮人による自主的な民族教育を否定。1948年に入り各都道府県に、朝鮮学校に学校教育法による認可を求めさせ、その認可を受けない場合は閉鎖させるように指示し、3月31日の山口を皮切りに各都道府県で学校閉鎖令が下される。4月24日には兵庫で武装した米兵と日本の警察は朝鮮学校、朝鮮人部落などで同胞を無差別に検挙した。民族教育の権利獲得の運動はこの「4.24教育闘争」から始まった。 これまでの主な運動と成果 ![]() その後自主的な民族教育は窮地に陥るが、同胞たちは学校を守り続けた。そして在日同胞は日本に在住する外国人として日本の内政に干渉することなく、日本の法律を守り、慣習を尊重することの立場から、日本政府に対し朝鮮学校の法的認可を求めた。1955年5月の総聯結成を弾みに、1966年までには145の各級朝鮮学校のうち、119校が各種学校として認可され、1956年に創設された朝鮮大学校も長年の要請が実り、1968年4月に東京都に認可申請が受理された。そして1975年までにすべての朝鮮学校が学校法人許可を獲得した。 90年代に入ってからは朝高の高体連加盟問題がクローズアップされた。1990年に大阪朝高の女子バレーボール部が、大阪府高体連主催の春季大会の途中で出場を拒否されたことがきっかけとなった。朝鮮高級学校校長会は全国高体連事務局を訪れ、「高体連加盟問題に関する申し入れ書」を提出。朝高生らが自ら立ち上がった署名運動には、各地の日本学校の生徒や日教組が協力を申し出た。また1992年には日本弁護士連合会(日弁連)が改善を求める勧告を文部省に、同趣旨の要望を全国高体連にそれぞれ提出。こうして高体連は1994年3月、朝鮮学校を含む各種学校や専修学校に対して、インターハイ参加を認める方針を決め、中体連でも1997年度から朝鮮学校など外国人学校の全国大会の参加を認めた。 1994年4月には、朝鮮学校児童・生徒らに対するJR通学定期券割引率差別が是正された。1987年の国鉄分割民営化後、千葉初中オモニ会がJR新検見川駅長に差別是正を要請したことから、各地に波及した。女性同盟と学校オモニ会を中心に、各地の在日同胞、朝鮮学校の生徒らは署名運動を展開。署名総数は60万人を超え、問題浮上から7年目にしてJR側は要請を受け入れた。 その他にも2004年以降、司法試験において従来認められてこなかった一次試験免除が朝大卒業生に認められるなど、日本の国家資格においても運動の成果が上がるようになった。 改善が著しい進学に関する権利獲得
一昔前まで日本の国立大学などを目指す朝高生は通信制や定時制の日本の高校にも籍をおく、いわゆるダブルスクールをした上で、さらに大学入学資格検定(「大検」、昨年からは「高校卒業認定試験」)に合格してはじめて大学の入学試験を受けられるという負担を強いられてきた。また朝大生に対しても国立大の大学院などは、一切門戸を閉ざしていた。しかし1998年2月、日弁連がこれを「重大な人権侵害」だとして是正勧告を出し、国連・子どもの権利(条約)委員会も同年6月に、こういった「差別的取り扱いが、…排除されるように勧告する」とした。こうした中、学内において数年間に及ぶ朝・日の学生たちの運動が繰り広げられていた京都大学が、1998年に大学院の門戸を朝鮮大学校卒業生にも開放し、1999年に九州大学がそれに続いた。 文科省は同年の夏に、外国人大学の卒業生に対する大学院への入学資格弾力化および大検受検資格要件の緩和による外国人中学校卒業生に対する大検受検資格弾力化を決定・発表した。これにより2000年度入試から国立をはじめとする各大学の大学院では、自主的に入学資格の有無を判断しても良いことになった。 この時点で大検を受けるためにダブルスクールをしなければならないということはなくなったが、依然大検をクリアすることなしには国立大学を受験できない状況であった。しかし2003年以降大きく状況が変わる。 2003年3月はじめに文科省は、欧米系のインターナショナルスクールにのみ大学受験資格を認めるという方針を発表した。これに朝鮮学校関係者は勿論、中華学校なども声を上げ、大学受験資格認定を求める運動は盛り上がりを見せた。また国立大学教員をはじめ多くの市民が批判の声を上げ、160人を超える弁護士たちによる「外国人学校・民族学校の問題を考える弁護士有志の会」も結成された。 こうして同年の9月19日文科省は、当初の発表に加え外国人学校・民族学校の高校に相当する課程を卒業した者も大学の入学資格を認め受験できるとした。また朝鮮学校のみを各大学の個別審査にまかせるとするものにした。この運動の成果が波及し、看護学校や鍼灸学校などへの入学資格も大きく道が開かれることになった。 現在の課題 中等教育が始まり60年の間に、朝鮮学校では数々の権利を獲得した。しかし未解決の問題はまだある。その代表が朝鮮学校に対する助成金問題である。地方自治体では補助を行なっているところが多数あるが、国庫からの助成金が出ていないため全体で見ても朝鮮学校(保護者を含む)には日本学校の公立校に比べ約10分の1、私立に比べても約3分の1程度の助成金しか出ていない。地域によっては日本の学校と比べ10分の1、20分の1ほどにしかならないところもある。また普通は学校への寄付金が集まりやすくするため、寄付をした法人および個人に対しその寄付金は損金・控除の対象とされている。2003年4月以降は同じ「各種学校」のインターナショナルスクールには一般の私立学校と同様に税制上における「特定公益増進法人」として認め、一般経費への寄付に対してその一定割合の額を損金・控除対象するようになった。しかし朝鮮学校などの寄付金についての優遇措置は、未だに対象から外されている。 その他にもスクールゾーンの設置など、通学路の様々な安全対策もほとんどの朝鮮学校へは措置が取られておらず、2004年4月から始まった東京都江東区枝川の東京第二初級の土地明渡しをめぐる裁判も、今尚進行中である。 教育に関する権利は、人間の尊厳と直接に関わる特に重要な基本的人権のひとつであり、朝鮮学校が設立された歴史的経緯から見ても、一条校と同等な権利を獲得することは当然なことである。これからも朝鮮学校を守っていくため、不当な差別には声を上げていくことが重要だろう。 |
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一昔前まで日本の国立大学などを目指す朝高生は通信制や定時制の日本の高校にも籍をおく、いわゆるダブルスクールをした上で、さらに大学入学資格検定(「大検」、昨年からは「高校卒業認定試験」)に合格してはじめて大学の入学試験を受けられるという負担を強いられてきた。また朝大生に対しても国立大の大学院などは、一切門戸を閉ざしていた。