セセデ連続講座6月 - 朝鮮大学校50年の歩み


創立までの過程

 各地に初級学校から高等学校まで設立した在日同胞には、自分たちの子供を大学まで送りたいという願いがあった。それは当時の同胞子女たちがどんなに才能があっても、祖国の大学にも日本の大学にも通えなかったからだ。日本当局が祖国往来の自由を認めていなかったこと、さらに朝鮮高校卒業生には日本大学進学資格を与えなかったことがその原因である。大学設立はまた、教員養成を含めた同胞社会を担う人材育成の面からも急務だった。
 このような同胞たちの要求を受け、大学設立は1953年初旬頃から構想されていた。しかし「大学無用論者」、「時期尚早論者」たちの強い反対にあい実現できなかった。それでも同年10月、教員養成学校である「中央朝鮮師範学校」(後に「朝鮮師範専門学校」に改称)が設立された。
 大学設立構想が実現されたのは総聯が結成されてからのことである。総聯は結成大会で師範学校を大学に改編する計画を打ち出し、第2回中央委員会(1955年9月)で朝鮮大学校の創立を決定する。
 このようにして1956年4月10日、朝鮮大学校は設立された。教員10余人、学生60余人からなる2年制、7学科の大学として出発した。この時は、東京朝鮮中高級学校の建物の一部を仮校舎としていた。
 校舎問題を含めた様々な困難を救ったのは、1957年4月に祖国から送られてきた教育援助費と奨学金だった。第二次教育援助費は全額、朝鮮大学校の校舎建設費としてあてがわれた。それにより1958年4月から4年制大学(2学部6学科)へと学制を改編、1959年6月には武蔵野の一角に新しい校舎を設立した。新校舎の設立は大学としての機能を一層高める確固たる物質的担保になり、民族教育事業を推し進める決定的な契機となった。さらに同年からは学業が優秀であるが経済的に苦しい学生に対して給費生制度(授業料・食費免除、奨学金の支給)が実施され、同胞たちへの大きな励ましとなった。朝鮮大学校は以後、総合的な大学としての道のりを歩むことになる。



設置認可の獲得

 1960年度、大学在学生総数は500余名に達し、教員も大幅に補充された。1964年4月、学部を文学部、歴史地理学部、政治経済学部、理学部、師範教育学部の5学部に改編し、学科制度の整備もされた。また教職員、学生たちが一体となって工事に取り掛かり、同年5月には図書館、講堂が竣工した。1965年1月には大学教員たちに共和国教授、副教授の学職が授与され、1967年には工学部が新設、翌年には第2研究棟が竣工する。このように発展の一途を進む朝鮮大学校は、朝鮮学校に通う同胞子女たちにとって大きな希望となっていったのだ。

 そしてより多くの発展の為に、朝鮮大学校の法的地位を確保することが求められた。しかし60年代に入り日本当局は在日同胞に対する非友好的な政策を行ない、正当な民族教育の権利を無視した「外国人学校法」の制定を何度も図り、朝鮮大学校の設置認可の申請を受理しない抑圧的態度を強めていった。在日同胞や学生たちは総聯組織のもとに団結し、大学の法的地位を確保するための学校認可取得運動を活発に行なった。日本の学者、文化人、教育関係者をも含めた広範な運動により、1968年4月17日、当時の東京都知事の決断により認可が実現された。
 設置認可の獲得は、民族教育の正当性と祖国の海外大学としての尊厳を内外に知らしめ、小・中級学校を含めた民族教育全般の合法的地位を固める重要な土台となったのである。







さらなる飛躍、発展

 設置認可以降、教職員と学生の祖国往来が自由になり、大学教育はより発展していった。1971年4月には師範教育学部に師範科が、1974年には外国語学部が、1982年には経営学部が新設された。また1974年から2年制の研究院を新設し、各分野の専門家を養成することになる。さらに付属研究所(1970年−朝鮮語研究所、1974年−民族教育研究所、1982年−社会科学研究所、1990年−自然科学研究所)も設置され、研究機関としての体制をより一層整えた。研究施設の充実も図られ、1982年には「朝鮮歴史博物館」、「朝鮮自然博物館」をもつ記念館が完成する。
 この時期の朝鮮大学校は金日成主席からさまざまな配慮を受けた。主席は1973年8月31日、初めて祖国訪問した教職員と学生たちに、民族教育事業と大学事業発展について教えをくださった。また1976年11月29日、金日成綜合大学設立40周年を記念し祖国を訪問していた朝鮮大学校代表団には、単独接見の配慮をくださった。さらに1986年4月10日には朝鮮大学校設立30周年を記念した祝賀文を贈ってくださるなど、朝鮮大学校は金日成主席の温かい配慮により、世界で唯一の海外僑胞大学としての権威を高めていった。
 在日同胞社会の情勢が緊迫した90年代においても、朝鮮大学校は発展の一路を辿る。1990年4月には理工系の研究設備を備えた第3研究棟、体育館が竣工された。朝鮮大学校創立40周年を迎えた1996年には珍奇な動植物剥製品と標本が祖国から送られた。
 1999年4月には体育学部が新設、理工学部と工学部が統合され理工学部となった。また政治経済学部に法律学科、理工学部に情報処理科が新設され、師範教育学部が教育学部に改称された。教育学部は教育学科を4年制・3年制に、教養員科も保育科に改編された。研究院も前期2年、後期3年に改編された。2001年9月には運動場の改修工事が始まり、2003年4月に文学部と歴史地理学部が統合され文学歴史学部に。2年制の短期学部も新設された。
 今日では8つの学部、研究院、4つの研究所を持ち、様々な研究施設と生活施設が完備された。朝鮮大学校は民族教育の最高学府として、名実ともに「同胞たちの大学」となったのである。



朝鮮大学校の意義

 50年の歴史の中で、延べ1万4000人を超える卒業生を生んだ朝鮮大学校。
 朝鮮大学校は何よりも民族の代を受け継ぐ民族幹部を数多く育成した。昨今の総聯組織の幹部や活動家の大多数は朝大卒業生が占めている。朝鮮大学校は民族教育の最高峰として、総聯の民族教育事業発展にも多大な力を与えている。在日同胞運動の生命線である民族教育に直接的に関わる教員や関係者を数多く輩出していることからも、それは明らかである。朝鮮大学校では貴重な研究成果もあげられている。チュチェ思想研究・宣伝、祖国統一と南朝鮮研究、在日朝鮮人運動研究を含めた様々な分野の研究成果をまとめた著書、論文集などの数は計り知れない。
 世界で唯一の海外僑胞大学として輝かしい歴史と伝統を誇る朝鮮大学校。私たちセセデが次の50年、より多くの成果と発展をもたらすための力になっていこう。





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