| ■セセデ連続講座10月 - 朝鮮人BC級戦犯
戦争の終焉、戦争犯罪裁判 ![]() 東京裁判の様子(1946.5) 1945年8月15日、第2次世界大戦が終わり、朝鮮の独立に多くの在日朝鮮人が喜びの声を上げた。一方その裏では、敗戦国の戦争犯罪(戦犯)を追及する裁判が行なわれた。 戦争犯罪は、「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」の3項からなる。「平和に対する罪」について有罪判決を受けた戦争犯罪人をA級戦犯、そして以下「通例の戦争犯罪」をB級、「人道に対する罪」をC級とそれぞれ呼ぶ(アルファベットはその罪の重さを表したものではない)。 A級戦犯についてはドイツではニュルンベルク裁判、日本では東京裁判という国際法廷によって扱われた。東京裁判では東条英機、岸信介を含めた28人が起訴され、25人が有罪判決(うち7人が死刑判決)を下された。28人の起訴理由にはA級だけでなくB級(「通例の戦争犯罪」)も含まれており、B級で有罪となった者だけが死刑判決となっている。 一方BC級戦犯については、被害を受けたそれぞれの国が自国の裁判所で裁く権利が与えられた。取り調べを受けた人たちは数万、数十万人いたとも言われているが、その中で5700人が起訴された。うち日本人5379人、そしてここには朝鮮人148人(23人が死刑判決)、台湾人173人も含まれていた。祖国が独立したのにも関わらず、日本の協力者として死ななければならない絶望は、想像を絶する。戦争責任を負うべき当事者と同じように、なぜ朝鮮人の中から戦犯が出る事になったのだろうか。 129人が捕虜監視員 日本の侵略戦争を指導した人たちが無罪釈放される(前述の岸信介は1948年12月に無罪釈放、その後政界へ復帰した)一方で、イギリス、オーストラリア、オランダなどそれぞれの地域でBC級戦犯は起訴された。起訴された朝鮮人148人のうち129人は、日本国のために狩り出され日本軍人の命令の下、外地捕虜収容所で監視員として使われていた人々である。日本軍は「配給を受け取れないようにする」など、脅しに近い方法で3000余人の朝鮮人を監視員として狩り出したという。日本軍の捕虜収容所で過酷な扱いを受けてきた捕虜たちにとって、監視員は「加害者」であった。捕虜の恨みは天皇や東条英機ばかりではなく、目の前の命令実行者である監視員にも向けられたのである。 朝鮮人戦犯は刑の執行という観点で見た場合、戦争の当事者である日本人並みの扱いを受けることになった。「加害」と「被害」の狭間で苦しみ続けたのが、朝鮮人BC級戦犯なのだ。 二重の苦しみ BC級戦犯は判決後、アジア各地の刑務所で服役した。戦犯たちはその後、1950〜51年にかけて日本の巣鴨拘置所(通称「スガモプリズン」)に移されることになる。病人や高齢者以外には、道路整備や宿舎建設などの重労働が命じられた。少ない休憩時間(1日数分だったという)の重労働は2年間続いた。ここで朝鮮人は日本人と同じ扱いで拘留されたのだった。 1952年4月28日、日本が独立する直前に日本政府は朝鮮人や台湾人は日本国籍を離脱するとみなすという通達を出した。それにより在日朝鮮人には日本国籍が無くなり、サンフランシスコ条約発効と同時に「外国人」の戦犯として収容・処遇されることになった。サンフランシスコ条約が発効されると、日本人戦犯の条件は改善された。しかし日本政府は日本国籍を離脱したのだからと、朝鮮人を一切の援護から外す。 出所後なんの補償もなく、身寄りもない朝鮮人たちには、過度の貧困が待っていた。二人の自殺者が出た事実からもその凄まじさがわかる。一人は鉄道への飛び込み自殺、もう一人は神社の境内で首を吊った。日本政府の無責任さが、彼らを死に追いやったのだ。中には出所後の困難を耳にし、出所を拒否する人もいたそうだ。朝鮮人には戦争中に植民地の苦しみを味わい、さらに解放後も一部にはこのように苦しんだ人たちがいたのだ。朝鮮人戦犯は日本人並みの刑の執行を受け、援護については外国人として排除されたのである。
訴えの届かない日本政府 日本人戦犯に軍人恩給、援護金が支給される中で、残された朝鮮人戦犯たちも立ち上がった。朝鮮人戦犯たちは、自分たちに対する補償を求める運動を力強く展開した。1956年には「国家補償(刑死者遺族への補償を含む)」を要請。しかし今日に至るまでその解決は見られていない。特に1965年韓日条約が結ばれた以降、日本政府は「補償は一切解決済み」とし、要請を全く相手にしなくなった。 朝鮮人元戦犯たちは、1991年11月12日、「韓国・朝鮮人戦犯の国家補償等請求訴訟」を東京地裁に提訴。戦犯だった人たちは70〜80代になり他界する人も多く、これ以上待たされる訳にはいかないと裁判提訴に踏み切ったのである。1996年9月9日、東京地裁は朝鮮人元BC級戦犯の請求を全面棄却する第一審判決を下す。その後98年7月13日の東京高裁控訴審判決も、99年12月20日の最高裁判決も結果は全面棄却だった。その間、亡くなった朝鮮人元戦犯も少なくない。日本の裁判所の判決によって、半世紀近い彼らの闘いも徒労に終わってしまったことになる。 未だに残された問題 日本の「戦後補償」について、様々な非難の声が上がっていることは周知の事実だ。朝鮮人強制連行に対する補償や、アジア諸国の人たちに対する謝罪は未だに完全に行なわれていない。朝鮮人BC級戦犯に対する補償の問題も、ほんの一例に過ぎない。 日本に強制連行され、その時の給料が未払いのまま法務局に供託されている朝鮮人の数は33万人に上るという。そして総額5000万円(現在の価値に換算すると約2900億円、1991年朝日新聞)もの供託金が現在も宙に浮いた状態になっていると言われている。賠償金ではなく未払いの供託金が、である。また、戦後60年が経過したにも関わらず、未だに遺骨が返還されていない事実から、当人だけでなくその次世代の遺族たちにも多大な心労を与えている。戦争責任の余波は現在の問題として残っている。 私たちセセデは在日朝鮮人として、日本の戦争責任を直視しなければならない。「首相の靖国神社参拝」などの表面上の問題だけではなく、なぜ北南朝鮮や中国が日本の戦争責任をここまで追及するのかを知らなければならないだろう。責任から逃れようとする加害者に節操と良心を求めるのは、いつも被害者なのである。加害者によって歴史はいくらでも書き換えられる。だからこそそうなる前に、声を上げていくことが大切だ。 靖国神社には今も2万1181人の朝鮮人が合祀されている。遺族に何の断りもなく、一方的に日本の「英霊」として合祀されているのである。 |
||||||
▼자료실



