セセデ連続講座2007年 4月 - 「万景峰号」に対する弾圧と同胞たちの闘い

◆ポイント◆
「万景峰号」への弾圧は継続的なもので、強制捜索の目的は総聯組織の解散にある。



 今日も続く日本政府の在日朝鮮人弾圧。その中でも新法まで作り実現させた最も露骨な人権侵害行為と言えるのが、万景峰−92号に対する入港禁止措置である。現在私たちはこの撤回に向けて、全国各地で反対運動を繰り広げている。この入港禁止措置は、昨今の在日朝鮮人弾圧の象徴とも言えるだろう。昨今の弾圧はこの入港禁止措置から始まったように見えるが、「万景峰号」に対する弾圧自体は、1960年代――つまり帰国運動開始当初から繰り返されていたのである。今回は「万景峰号」に対する変わらぬ弾圧と、総聯組織に対してますます激化する強制捜索の目的について考えてみよう。



帰国運動と祖国往来の道

 先月号で見たとおり、帰国運動は在日同胞による帰国への思いを共和国が支持したことから始まる。当時同胞たちは祖国に帰りたい一心で、連日帰国実現のための集会を開き、日本法務省、厚生省、赤十字社、地方自治体、議会などに対する要請運動を行なった。58年11月には帰国実現署名運動を行ない、59年6月には「神戸−東京間自転車行進」をしながら願いを訴えた。同胞たちの思いは強く、1959年12月の第1次帰国船到着までに、1万9000回の集会が行なわれ、2739万枚の宣伝物が配られ、延べ235万人の同胞たちが参加した。この統計からも当時同胞たちの強い思い、そして激しい闘いであったことを感じることが出来るだろう。
 祖国往来の権利獲得は、1963年5月に行なわれた在日朝鮮人中央大会での決意表明を皮切りとした。署名活動、要請運動、法廷闘争などあらゆる闘争が行なわれた。特に64年3月16日から4月21日までの「大阪−東京間600km徒歩行進」では、老若男女全ての同胞たちが「祖国往来を実現させろ!」と叫び、旗やプラカードを掲げ訴えた。その結果65年12月には2人の同胞が再入国許可証を得て、日本を出発したのである。私たちが現在当たり前のように持つ再入国許可証も、このような闘いの中で勝ち取ったものであることを忘れてはならないだろう。
 同胞たちは祖国への帰国と往来を実現させたが、日本政府は1967年11月、調印したはずの帰国協定を一方的に破棄し同胞たちの帰国を中断させた。帰国申請をしていた同胞1万7000人は、それにより日本で職も住む家もなく路頭をさ迷うことになった。帰国するために家や土地などを売り払ったり、仕事をやめていたりしていたからだ。在日同胞は再び運動を繰り広げた。そして1971年1月、モスクワにおける朝・日赤十字会談で、同胞たちの帰国する権利がようやく認められたのである。
 上記の歴史を振り返ってみると、日本政府による「万景峰号」に対する弾圧は、50年近くも前から行なわれていることがわかる。在日同胞の帰国運動の開始と共に弾圧は始まっていたのだ。



70年代から現在に至るまで

 1971年8月、祖国から万景峰号が送られ、祖国への往来がより活発になっていった。72年8月には在日朝鮮学生の祖国訪問も実現された。79年8月には大型旅客船・三池淵号も入港し、帰国した家族に会ったり祖国を観光したりと、同胞たちの祖国訪問は身近になる。80年には朝鮮大学校生の祖国講習制度が始まり、82年4月からは朝高生も修学旅行制度で祖国を訪れるようになった。私たち朝青員の中にも朝高時代の修学旅行で祖国を訪問した人が多いはずだ。そして85年8月には万景峰号の入港200回、86年7月には三池淵号の入港100回も迎えた。
 そんな中、日本政府による「万景峰号」弾圧は続いた。例えば88年7月、山口県の下関港が三池淵号の入港を突如拒否したのであった。これをうけて山口県下の同胞はもちろん、九州、中四国、近畿など各地の同胞たちは激しく要請、抗議活動を行なった。闘いの末、同船は北九州市の門司・太刀浦港に無事入港することが出来、祖国訪問団375人を無事祖国へと運んだ。
 弾圧と闘争。在日同胞は何十年も前から闘い、そして勝利してきたのだ。  1992年には万景峰−92号が新潟に入港し、より多くの同胞、学生が祖国を訪問出来るようになった。ところが2002年9月17日、朝・日平壌宣言が調印されると日本政府は「拉致問題」を持ち出し、10年間無事故であった万景峰−92号の入港を延期させた。その後は言うまでもない。総聯組織に対する放火・無言電話、朝鮮学校児童らに対する暴行・嫌がらせなど、一部の日本市民個人による犯行も行なわれている有様だ。その後同胞たちによる抗議活動で一時的に入港は再開されたが、2006年からは入港「延期」がついに入港「禁止」となる。これまで見てきたように「万景峰号」に対する弾圧は、過去度々行なわれたが、今ほど露骨で悪質なものはなかったかもしれない。





漆間発言から考える強制捜索の目的

 万景峰−92号の入港再開を願う同胞たちをあざ笑うかのように、現在日本政府は総聯組織と傘下団体に対する強制捜索を繰り返している。
 2007年1月18日に行なわれた記者会見で、漆間警察庁長官は現在進行中の強制捜索の目的を明言している。「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ。北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題の解決に近づける。そのような捜査に全力をあげる」。ここでは特に「事件化」という言葉に注目してみよう。
 総聯の前身とも言える在日本朝鮮人聯盟(朝聯)は、1949年9月8日に強制解散させられている。その当時の法務府特別審査局の特審資料「団体等規正令に基く解散団体の解散理由書」(1951年2月1日)には、前書きで「取り扱いは極秘とされたい」としながら、78団体の解散理由が掲載されている。その34番目に朝聯の解散理由が書かれている。そこでは朝聯の活動を日本政府の見地から全面的に分析し、25件の「事件」を列挙しながら、「解散指定をなすを相当する」と断定してある。簡単に言えば、朝聯は25件の事件を起こしてきて非常に危険な団体だから解散させる、というわけである。「占領軍誹謗」「公務執行妨害」なども「事件化」され、朝聯解散の理由にされている。
 現在行なわれている強制捜索も「事件化」が狙い。ということは朝聯を解散させた時と同じように、強制捜索することで「薬事法違反」「税理士法違反」などをどんどん「事件化」し、総聯の解散を目論んでいる…という可能性もある。強引に「事件化」させる理由は、総聯組織の解散にあるのだ。
 今日私たちが置かれている状況は非常に深刻である。今闘わなかったら、本当に総聯組織が強制解散させられてしまうであろう。在日同胞の運命が決まると言っても過言ではない状況なのだ。自分たちの権利は自分たちで獲得しなければならない。万景峰−92号の入港禁止措置撤回、不当な強制捜索の反対、不当逮捕者の即時釈放を声高に訴え、私たちセセデが具体的な運動を先頭に立って展開していこう。





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